ハマショー、ニューシングル「A-BOY」

お昼に渋谷で元パワーステーションの高橋さんと待ち合わせて、あーでもないこーでもないに世間話を交え1時間半程お茶。
今のキッズ達は日清パワーステーションって知ってるのかな?
新宿の靖国通りをずーっと行って明治通りをピッと曲がってちょっと行ったとこ。
「ロッキンレストラン」って触れ込みでスタートしたのが、いつだったか忘れちゃったけど89年とか90年あたり。
中二階には食事をしながらライブを観れるテーブル席があって、その上の2階席はお酒も飲めるとこ。
1階は700人くらい収容出来るスタンディングスペース。
最初は食事の席を嫌がるアーティストや関係者も多かったけど、自然とみんな気しなくなってた。
当時はクラブ文化もまだまだ認知されてない時代で(ディスコが衰退し始めた時代だったような…)、今考えるとクラブっぽいバブリーなハコだったなぁ。


連日新人アーティストのお披露目だったりベテランの人のライブだったりでスケジュールは常に取り合いのハコだった。
当時まだ若造だった僕は現場やら新人のコンベンションやらで月に5〜6回は通ってた会場。
ライブが終わると新宿3丁目の「鳥田村」っていう焼き鳥屋にいっつも行ってた。
そこは昔、ビートたけしオールナイトニッポンが終わると毎週飯を食いに来てたとこで、初めて行った時なんていつ扉がガラッと空いて「バカヤロッ、ホッピーと焼き鳥出せ、コノヤロウ、コマネチッ!」なんて言って、たけしが入って来んじゃないかって勝手にドキドキしてたもんだ。結局1回も逢わなかったけどね。


高橋さんはそこのブッキングの人で今は独立してライブの制作やら色々やってる。
僕らがよくお世話になってるSHIBUYA-AXも高橋さんとこの柳澤がブッキングしてるのね。



@futureっていうAXとBOXXの間にあるカフェで世間話してたら元ステージフライトの小林さんに10年振りくらいに逢ったりと、何かあの頃にタイムスリップした感じ。
小林さんには、よく日比谷の野音を譲ってもらって使わせてもらったりしてた。
これも10数年前の話。


そんでもって帰り際にワイエスの山中さんにもお逢いしたりで、ちょっと不思議な1日。



ライブハウスも10年周期くらいで様変わりしてるよね。
300人くらいのライブハウスがここ5〜6年でたくさん出来て、バンドも僕らも選択肢に困ってしまうくらいの状況。
2000人くらいの大きなライブハウスが定着したのもここ7〜8年の話。
AXも来年か再来年がちょうど10年だって言ってた。
ZEPP TOKYOもほとんど同時期に出来たはずだよなぁ。
パワステはちょうど10年で歴史の幕を閉じた。
そしてAXが10年を迎える頃、赤坂BLITZが復活するっぽい。


2007年。
団塊の世代の人達が一斉に定年を迎える年なんだって。


何かが変わっていく気はだいぶ前からしてる。
何かしなきゃ行けない気もしてる。個人的にも企業としても、ね。


キーワードは「2007年」。